俳句クラブ第7回選句講評
4点句
麦の穂を簪(かんざし)にして老婆往く 爛柯
個人的には一番好きな句でした。中国映画のワンシーン、
ずっと昔子を亡くし気の触れた老婆が子守唄を口ずさみながら、
広大な麦畑の中を歩む、というイメージです。
田植え時乳飲み子泣いて蛙黙す 魚目
回想句でしょうか。田植で忙しく乳飲み子にかまってやれない。
一方、蛙は黙ってしまうという対比を詠んだのでしょうね。
蛙も季語ですから、むしろ泣き声に焦点を絞るという作り方もありますね。
3点句
雲割れて仏が光蓮の花 白雪
雲間からの光は時に荘厳な感じがしますね。そのことと蓮の花の
イメージが重なって良いと思いました。
仏が光の「が」は「の」と同じ意味で使うことも出来ますが、
光りと動詞に使ったのでしょうか。
濡れし葉に紅を散らして柘榴かな 白雪
単に柘榴というと柘榴の実(秋の季語)のことになり、
柘榴の花の場合は「柘榴の花」「花柘榴」といわねばなりません。
そんな面倒くさい、といわれるかもしれませんが、季語は約束なのです。
この句は明らかに花のことでしょうから座五は花柘榴と代えればよいでしょう。
柘榴の硬い赤い花が雨で強調されたことがよく出ていると思います。
麦秋や幼き日々のガムの味 澄明
麦秋やで大きく切り、次に全く違ったものを配置する句の仕立て方です。
この場合に(付かず、離れずの)何を持ってくるかで句の良し悪しが決まります。
チョコレートでもキャラメルでも良いようなものですが、小生はガムで決まりの
気がしました。なお、ここに「麦焦がし(はったい粉)」(夏の季語)などを使うと、
付きすぎということになります。
2点句
風の道幾重にも伸びる麦の秋 澄明
雨上がり端のアジサイ袖を引き 白雪
夏の日や麦わら帽子探す朝 魚目
馬頭観音一丈六尺麦の秋 三歩
大宰府観世音寺に麦秋の頃(福岡は北海道に次ぐ小麦産地)に
行ったときの小生の句です。かなりの字あまりです。
実は最近、釈尊の背丈は1丈6尺あったことから「丈六」という便利な
言葉があることを知りました。従って 丈六の馬頭観音麦の秋
とすれば字あまりを避けられることになります。
近道の病院裏の濃紫陽花 三歩
麦の穂を簪(かんざし)にして老婆往く 爛柯
個人的には一番好きな句でした。中国映画のワンシーン、
ずっと昔子を亡くし気の触れた老婆が子守唄を口ずさみながら、
広大な麦畑の中を歩む、というイメージです。
田植え時乳飲み子泣いて蛙黙す 魚目
回想句でしょうか。田植で忙しく乳飲み子にかまってやれない。
一方、蛙は黙ってしまうという対比を詠んだのでしょうね。
蛙も季語ですから、むしろ泣き声に焦点を絞るという作り方もありますね。
3点句
雲割れて仏が光蓮の花 白雪
雲間からの光は時に荘厳な感じがしますね。そのことと蓮の花の
イメージが重なって良いと思いました。
仏が光の「が」は「の」と同じ意味で使うことも出来ますが、
光りと動詞に使ったのでしょうか。
濡れし葉に紅を散らして柘榴かな 白雪
単に柘榴というと柘榴の実(秋の季語)のことになり、
柘榴の花の場合は「柘榴の花」「花柘榴」といわねばなりません。
そんな面倒くさい、といわれるかもしれませんが、季語は約束なのです。
この句は明らかに花のことでしょうから座五は花柘榴と代えればよいでしょう。
柘榴の硬い赤い花が雨で強調されたことがよく出ていると思います。
麦秋や幼き日々のガムの味 澄明
麦秋やで大きく切り、次に全く違ったものを配置する句の仕立て方です。
この場合に(付かず、離れずの)何を持ってくるかで句の良し悪しが決まります。
チョコレートでもキャラメルでも良いようなものですが、小生はガムで決まりの
気がしました。なお、ここに「麦焦がし(はったい粉)」(夏の季語)などを使うと、
付きすぎということになります。
2点句
風の道幾重にも伸びる麦の秋 澄明
雨上がり端のアジサイ袖を引き 白雪
夏の日や麦わら帽子探す朝 魚目
馬頭観音一丈六尺麦の秋 三歩
大宰府観世音寺に麦秋の頃(福岡は北海道に次ぐ小麦産地)に
行ったときの小生の句です。かなりの字あまりです。
実は最近、釈尊の背丈は1丈6尺あったことから「丈六」という便利な
言葉があることを知りました。従って 丈六の馬頭観音麦の秋
とすれば字あまりを避けられることになります。
近道の病院裏の濃紫陽花 三歩